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ひと・STORY
2020.04.15 | shibata


Hope&Wishバケーションハウス 青と碧と白と沖縄は、多くの職人さんのおかげで建設されました。朝の7時半には現場に集まって下さり、17時頃まで毎日。。。
そのプロフェッショナルなお仕事には「脱帽」の連続でした。
1職人、ではなく、1人の「ストーリー」が、そこにもありました。お仕事の合間に立ち話で…いろいろと話して下さいました。

 

よねもとさん、61歳。。。
沖縄本島ではなく、与那国島出身で、なんと9人兄弟。長男のお兄様は83歳だそうです。与那国島には高校が無かったそうなので、中学の義務教育を終えると、その殆どが島外に出てしまって、「家族全員」になることは、めったになかったそうです。よねもとさんご自身も、大阪で就職して生活していたため、本当に「家族全員」はこれまで2度しか、経験したことなかったそうです。
昨年、よねもとさんの「還暦」のお祝いに兄弟が集まって下さって、その時に「家族」を改めて時間できて…「嬉しかった」と笑顔で話して下さった場を忘れることができません。一度、お昼前に大雨が降って、工事が中止になって、早帰する時に、よねもとさんの「お弁当」を、「大住さん、あげるよ。。。」って言って、私に下さったお弁当。。。とても嬉しく、美味しかったです。「今度、スナック行こうね!」って誘ってくださった言葉…覚えてますからね。。

 

そして、ねがみさん。。。寡黙な方そうに見えましたが、一度、話すことができたら、いつも声掛けて、話し掛けてくださいましたね。
沖縄本島の東海岸、平安座島出身。平安座島は、島、離島なのですが、海中道路と呼ばれる長い長い橋が架かっていて、車で渡ることのできる“便利”な島です。でも、その歴史を調べると、昭和45年に橋が完成されたそうです。そしてそれから間もなくの47年に沖縄は、日本へ返還されました。その橋の建設を条件の一つとして。それまで離島育ちのねがみさんは、離婚されてご自身の父親も知らずに、ご両親ではなく尊祖母にずっと島で育てられ、島を離れたこともなかったため、「標準語」が話せなかったそうです。そのため、“便利”になったものの、言葉も通じなかったため、那覇の街へ2年半かけて、勉強に行ったそうです。その後、島では仕事も無かったために、山梨の石和温泉で住み込みの仕事を続け、その次は…千葉で婦人服の販売等、一生懸命に仕事を続けたそうです。
それでも…やっぱり、沖縄の島、海、空…が恋しくて恋しくて、ホームシックにかかるたびに…めったにない休日でも「横浜」に独り、向かって、泣いたそうです。。
「なんで、横浜?」って聞くと、ねがみさんは…、「海があって、海鳥も泣いてて、なにより外人が多くいたから、沖縄と似ていた。。。」って、ポツリと話して下さいました。
でも、そんな毎日の中でも、恋に墜ち、東京の女性のご実家に挨拶に行ったそうです。
「お嬢さんと結婚したい」って、ストレートに話したら…、その親は、こう返してきたそうです。「沖縄もんは、だめだ。渡せん。沖縄は、外国だから。。。」って。
だから、そんなこともあって、25歳で、沖縄へ戻ってきたそうです。
40歳で…結婚して、、、、いま、があります。。。

 

そんな沖縄の職人さんの「腕」と「想い」によって、建設されました。